エルヴィス・プレスリーのカバー・バージョン「ポーク・サラダ・アニー」(Polk Salad Annie)は、トニー・ジョー・ホワイトが1968年に発表した楽曲。
「南部の貧しい女の生活」アメリカ南部の文化・貧困・力強さ
物語:ポーク・サラダ・アニー
アメリカ南部の、じっとりとした湿気がまとわりつく夏の日。
ぬかるんだ小道の先に、アニーの家があった。家といっても、木の板を打ち付けただけの小屋のようなものだ。屋根は傾き、雨が降れば水が染みこみ、床板の下ではネズミが走り回っていた。
アニーの母は一日中ベッドに寝転び、煙草を吸いながら窓の外をぼんやりと眺めていた。父は近所で「働かない男」と有名で、朝から酒瓶を手放さない。兄弟たちはといえば、町に出ては物を盗み、警察に捕まっては留置所に送られる。
そんな家族の中で、まともに動いていたのはアニーただひとりだった。
彼女はまだ若かったが、痩せた体に刻まれた筋肉は固く、日焼けした肌は南部の太陽の下で鍛えられた証だった。
「今日も食べ物を探さなきゃ」
そう呟くと、アニーは籠を手に野原へと出かける。
そこに群生しているのは、「ポーク草(ポークウィード)」と呼ばれる野草だ。生で食べれば毒があるが、何度も茹でこぼせば食用になる。南部の貧しい家々では、それを「ポーク・サラダ」と呼んで常備菜にしていた。
アニーは素早い手つきで葉を摘み取り、籠に入れていく。指先には茎の汁が染み込み、緑色のしみがつく。だが彼女は気にしない。生きるためには、選んでいられないのだ。
川辺を歩けば、アリゲーターの姿が見える。大きな体で水面を滑るように進むそれを見つけても、アニーは怯まなかった。
「邪魔するなら、仕留めてやる」
彼女の目は鋭く光る。村の誰もが「アニーはワニすら素手で倒す」と噂していた。それは誇張かもしれないが、彼女のたくましさを示す言葉として広まっていた。
夕暮れが迫る頃、アニーは籠いっぱいのポーク草を抱えて家へ戻る。母は相変わらず横たわり、父は酔いつぶれている。家の中は荒れていたが、アニーはため息ひとつつかず、黙々と鍋に水を張り、草を茹で始めた。
何度も茹でこぼすたびに、苦い匂いが立ちのぼる。
「これで少しは毒が抜けたはず」
そう確認して、アニーは皿に盛りつける。味は決して豊かではない。それでも、この料理が彼女たちの命をつないでいた。
町の人々は、アニーを一種の畏怖をもって見ていた。
「ポーク・サラダ・アニー、あの娘は強い」
「貧しい家の子だが、誰にも負けない」
人々の囁きは、彼女の名前をさらに広めた。
ある夜、月明かりの下でアニーはひとり畑に座っていた。
「どうして私だけが、こんなに働かなきゃいけないんだろう」
心の奥に、ふと孤独が滲む。だがその目には、消えない炎が宿っていた。家族がどうであれ、アニーは生き抜く。ポーク草があろうとなかろうと、彼女は必ず明日を迎える。
南部の土の匂い、汗にまみれた暮らし、そして野生動物と隣り合わせの生活。
そのすべてが、アニーという女を形づくっていた。
彼女は決して裕福ではない。だが力強さだけは、誰にも奪えなかった。
そう、彼女こそが――
「ポーク・サラダ・アニー」
南部に生きる、たくましい魂そのものだった。
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