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クールス紫のハイウェイでデビューメンバー舘ひろしと岩城滉一の出会い

紫のハイウェイでデビューしたロックンロールバンド クールス(COOLS) クールス誕生のきっかけとなったのは?ドラムの佐藤秀光さんの話 ドラムを担当することとなった佐藤秀光が二十歳ぐらいの頃、 岩城滉一と知り合い大学に通うのにハーレーに乗って2台で行っていた。 友だちがバイトしていた青山のスナックに岩城と2人で行ったらそこで弾き語りをしてロックンロールを歌っていた館ひろしと知り合いになり3人でロックンロールとオートバイのスピード感の話で盛り上がった。 バイクチーム クールス オートバイに乗るようになり原宿の喫茶店に行くようになるとみんなが集まってきて21人ぐらいになった。 バンドでもやるかと言うことになり 芸能界の中でもキャロルが解散した良いタイミングの流れがあって、普通は芸能人になりたくてもなれない世界なのに我々は良い芸能界の流れとハーレーを小道具としてそしてハーレーを持ってる人間も少なかったと言うことで非常に目立った。 クールス コレクション 音楽はまだできなかったけど遊びでやってるうちにキングレコードが来てキャロルも解散したし良い時期なんじゃないかと言われて それじゃあ21人のグループ中からバンドをやれる個性的な人間をって言うんでジェームスだ村山君だフランクだとそして館ひろしに自分がいて何やかんやで8人いて渡辺プロダクションの練習スタジオで遊びでやってたんだよね 舘ひろし 水口晴幸(ピッピ) 村山一海 ジェームス藤木 飯田和男 大久保喜市 佐藤秀光 梅村光男 デビューしたは良いんだけどいきなり売れちゃって腕が追いつく前に売れちゃったと言う世界で進んでいったのでなかなか大変だった。 そんなデビューの仕方してクールスの出会いからそんなきっかけが生まれた。 COOLS ★ 佐藤秀光氏が語るクールス誕生秘話 LIVEでのエピソード 今だから話せるエピソード、山下達郎やシャナナの話など 当時のクールスやキャロル、矢沢永吉から音楽性やファッションなど影響を受けたミュージシャンは数多い。 その後バンド名「クールス・ロカビリークラブ」となり舘ひろしはソロで「舘ひろしとセクシーダイナマイツ」を結成。 決定版!クールス 先般キャロルのジョニー大倉さんが亡くなったのでオリ