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ロックンロールの真最中 窓ガラスが吹き飛んでサンハウスからシーナ&ザ・ロケッツ

SHEENA & THE ROKKETS 「シーナ&ザ・ロケッツ」鮎川誠さん膵臓がんのため2023年1月29日に74歳で亡くなった 妻・シーナさん(2015年2月逝去) 鮎川誠のメインギターはボロボロになってるレスポールカスタムブラック 「Gibson」Les PaulはCustomかDeluxe Custom色は全部黒ばかり5~6本持っていたはずです。 鮎川誠がCMしてたインスタントの袋麺「博多もんラーメン」 @Beano_MD @takeyasu5150 鮎川さん=レスポールカスタム Char=ストラト たとえばこういう「収まりの良さ」って、そのギターの方から「選んだ」ようにさえ感じるんですよ。私は。 — 678 (@678mpth) 2015, 11月 22 1970年「菊」こと柴山俊之らとサンハウスを結成 1978年シーナ&ザ・ロケッツ結成。 SHEENA & the ROKKETS IN U.S.A (紙ジャケット仕様) 81年にアメリカA&Mからリリースされていたシナロケのエクスポート版。 (1)を除いて英詞だが、シーナのカタカナ英語が結構いい味を出している。男気のあるシンプルな演奏も今なお新鮮。シナロケの違う一面が見える。 SHEENA & the ROKKETS IN U.S.A (紙ジャケット仕様) 【SHEENA & THE ROKKETS 紙ジャケット復刻】 ROCK’N’ROLL SPIRITS! 今も変わらず疾走を続ける「SHEENA & THE ROKKETS」がAlfa時代の音源6タイトルを紙ジャケットにて完全生産限定復刻! 先ごろ「200CD Rock’n’Roll~俺たちの愛したパンク/ロック/ブルース~」を出版したロックをこよなく愛する鮎川誠。 SHEENA & THE ROKKETSの復刻発売は、そんな彼等の初期のエネルギーを感じることが出来る貴重で、テンションの上がるアイテムだ。 シーナさんが亡くなりられましたね。つい先日、このアルバムがダウンロードできることを知って、懐かしく聞いたばかりです。個人的には Moonlight Dance や You Really Got Me などが特に好きです

クールス紫のハイウェイでデビューメンバー舘ひろしと岩城滉一の出会い

紫のハイウェイでデビューしたロックンロールバンド クールス(COOLS) クールス誕生のきっかけとなったのは?ドラムの佐藤秀光さんの話 ドラムを担当することとなった佐藤秀光が二十歳ぐらいの頃、 岩城滉一と知り合い大学に通うのにハーレーに乗って2台で行っていた。 友だちがバイトしていた青山のスナックに岩城と2人で行ったらそこで弾き語りをしてロックンロールを歌っていた館ひろしと知り合いになり3人でロックンロールとオートバイのスピード感の話で盛り上がった。 バイクチーム クールス オートバイに乗るようになり原宿の喫茶店に行くようになるとみんなが集まってきて21人ぐらいになった。 バンドでもやるかと言うことになり 芸能界の中でもキャロルが解散した良いタイミングの流れがあって、普通は芸能人になりたくてもなれない世界なのに我々は良い芸能界の流れとハーレーを小道具としてそしてハーレーを持ってる人間も少なかったと言うことで非常に目立った。 クールス コレクション 音楽はまだできなかったけど遊びでやってるうちにキングレコードが来てキャロルも解散したし良い時期なんじゃないかと言われて それじゃあ21人のグループ中からバンドをやれる個性的な人間をって言うんでジェームスだ村山君だフランクだとそして館ひろしに自分がいて何やかんやで8人いて渡辺プロダクションの練習スタジオで遊びでやってたんだよね 舘ひろし 水口晴幸(ピッピ) 村山一海 ジェームス藤木 飯田和男 大久保喜市 佐藤秀光 梅村光男 デビューしたは良いんだけどいきなり売れちゃって腕が追いつく前に売れちゃったと言う世界で進んでいったのでなかなか大変だった。 そんなデビューの仕方してクールスの出会いからそんなきっかけが生まれた。 COOLS ★ 佐藤秀光氏が語るクールス誕生秘話 LIVEでのエピソード 今だから話せるエピソード、山下達郎やシャナナの話など 当時のクールスやキャロル、矢沢永吉から音楽性やファッションなど影響を受けたミュージシャンは数多い。 その後バンド名「クールス・ロカビリークラブ」となり舘ひろしはソロで「舘ひろしとセクシーダイナマイツ」を結成。 決定版!クールス 先般キャロルのジョニー大倉さんが亡くなったのでオリ

ギターリフから始まるシャナナのロックンロール・イズ・ヒアトゥースティ

シャナナの1969年にリリースされたファーストアルバムに入っているロックンロール・イズ・ヒアトゥースティは軽快なギターのリフから始まり、更にキーが転調していきながら盛り上がっていく、ご機嫌なロックンロールに仕上がっている。 Sha Na Na - Rock and Roll Is Here To Stay (1969) シャナナは1960年代後半にコロンビア大学で学生達が集まって結成されたと言われるロックンロールバンドでアメリカの野外コンサートの伝説となったウッドストック(Woodstock Music and Art Festival)にも出演している。 シャ・ナ・ナ (Sha Na Na) の演奏する音楽は一般的にオールディーズやオールドロックンロールと言われる曲をカバーする。 アメリカでは子供向けテレビ番組の中でオールディーズナンバーを演奏し面白おかしく歌ったり踊ったりしていた事から子供向けのお笑いコミックバンドというイメージがあったが実際はオールドロックンロールの正統派として世界中のロックンロールに影響したと言えるだろう。 Sha Na Na - Don't You Just Know It 日本のロックバンドの中にもキャロルの矢沢永吉が書いた「成り上がり」と「暴力青春」を読んでみるとバンド結成の初期の頃には音楽の方向性ではビートルズのジョンレノンやポールマッカートニーを意識した話が出てくるが、リブヤングのテレビ出演が決まってから慌てて買ってきたポマードを髪に塗ってリーゼントにしたり、当時に結婚していた奥さんの結婚指輪を質屋に入れて革ジャンを買ったみたいな話が出てくる所なんか少なからずファッション的にでも影響を受けてるのではないかと思えてくる。 キャロル レアライブ映像 ライブ・イン・リブヤング CAROL解散のコンサートビデオ(燃えつきるキャロル・ラストライブ)の中ではCOOLSの村山一海がオートバイに乗りながらコメントしているところでシャナナの話が出てくる所からキャロルもクールスもバンドとして多少なりともファッションや音楽でSHA NA NAから影響を受けていると思われる。 COOLS クールス 1975年シャナナが日本での初公演を行ったのを記念して当時日本で大ヒットしていたリーゼントに

高橋ジョージがベースギターを弾いていたザ・プリーズ

ザ・プリーズ / The Pleaseは矢沢永吉が作ったと言われているCAROLの元メンバーで残念なことに去年亡くなってしまったジョニー大倉とウッチャンと呼ばれている内海勝利に芸能ニュースで俳優・三船敏郎の娘、三船美佳との離婚問題が報じられたTHE 虎舞竜のボーカル高橋ジョージとドラム田中清人の4人で結成されたロックバンド。後に虎舞竜は高橋ジョージが作った「ロード」が大ヒットする事になる。 ハローマイラブ!/ふたり~One Day Single, Maxi トラブル…ザ・プリーズ…虎舞竜と聴いてきたけど、このマキシ3曲も更なる新しい扉ではないだろうか。 恥ずかしながら背中でテレビの「♪ふたり」を初めて聴いたとき、ジョージの曲とは気づきませんでした。 ファン失格!!?? ハローマイラブ!/ふたり~One Day ドラマ「美女と男子」の要所要所に重要な登場人物として登場していた高橋ジョージ演じるたどころ晋也。 その背景をこの歌詞に載せて歌い上げる高橋ジョージの今までとは違うメロディー。 「ハローマイラブ」しかしその明るさ故に、切なく突き刺さってくる「ロード」とは違ったリアリティーなセンチメンタル。 そして前向きな強ささえ織り込んだ熟年の男の熟成したジャパニーズR&R。 久々のヒットを予感させる「ONE DAY」。 3局目の「Good Bye My Baby」も、たかじんを彷彿させる関西のラブバラード。 ぜひ!!とお勧めしたい1枚と言える。 そのザ・プリーズのライブ演奏です。動画では先ずGOOD OLD ROCK'N'ROLLが流れていますが、これは高橋ジョージがCAROLの永ちゃんを演じているような感じですね。 高橋ジョージがベースギターを弾いてるわけですが永ちゃんがキャロルでベースギターを弾く時によく使うフレーズを弾いていあたりは嬉しいような悲しいようなやりきれない気持になってしまいます。 ジョニーのシンプルなギターリフは最高にカッコイイのですがバンド全体の雰囲気も選曲の仕方も永ちゃんの居ないキャロルをやっている様な感じになってしまっています。 ジョニーもウッチャンもキャロルの名前を使いたかったのかもしれませんが権利の問題でできなかったのではないかと推測いたします。 矢

館ひろし紫のハイウェイ黒のロックンロール・クールスの世界

cools(クールス)だった館ひろしが歌った紫のハイウェイ クールスに館ひろしが居た頃に出たファーストアルバムだったんだろうレコードの帯にあったのは「黒のロックンロール・クールスの世界」だったと思う。