──人は、なぜ理想郷を夢見るのだろうか。
少年の頃からその問いが、私の胸の奥で小さく鳴り続けていた。
ある日、旅の途中で出会った白髪の僧が語った。
「はるか西の彼方、雪山を越えた谷に“ガンダーラ”という地がある。そこでは人が争うことなく、愛と調和の中で生きている」
その言葉は、乾いた大地に一滴の水を落とすように、私の心を揺さぶった。
私はそれを信じ、歩き始めた。砂漠を越え、河を渡り、星々に導かれるように旅を続けた。だが歩けば歩くほど、答えは遠ざかるように思えた。
ある村に辿り着いたときのことだ。
そこでは人々が収穫を奪い合い、互いに怒号を浴びせていた。私は彼らに僧の語った「ガンダーラ」の話をした。
「そんな場所、本当にあるのか?」
男たちは笑った。だが、一人の少女だけが瞳を輝かせて言った。
「もしそんな国があるなら、私も一緒に探してみたい」
少女の名はリナ。彼女は家族を争いで失い、村に居場所を持たなかった。私とリナは共に旅を続けることになった。
雪深い峠を越える夜、星空を見上げながらリナが尋ねた。
「ねえ、本当にガンダーラはあると思う?」
私は言葉に詰まった。胸の奥に小さな疑念があったからだ。けれど、リナの冷えた手を握りながら答えた。
「たとえ遠くても、人が心から求めるなら、きっとあるはずだ」
それは彼女に向けた言葉であると同時に、自分自身への誓いでもあった。
やがて私たちは、果てしなく広がる草原に出た。そこには争いも憎しみもなく、遊牧民たちが互いに助け合い、歌を口ずさみながら生きていた。リナは微笑み、私に囁いた。
「ここが……ガンダーラなのかもしれない」
しかし彼らに尋ねると、「ガンダーラ? 聞いたことはない。ただ、私たちは助け合わなければ生きられないから、自然とこうして暮らしているだけだ」と答えた。
その時、私は悟った気がした。
理想郷は、遠い彼方の幻ではない。人が互いを思いやる心を持つとき、そこがすでに“ガンダーラ”となるのだ。
旅を続ける私とリナの瞳には、もう以前のような焦りはなかった。
それでも人は問い続けるだろう。
──ガンダーラはどこにあるのか、と。
けれど私は今、こう答えることができる。
「それは君の心の中に、そして私たちが作り出す明日にあるのだ」と。
星空の下、リナは静かに微笑んだ。その微笑みは、遠い理想郷の光よりも確かな輝きを放っていた。
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