ドイツ駐留の基地は、朝になるたびに同じ音で目を覚ます。ラッパのけたたましい合図、仲間たちの「おい起きろよ、また地獄の一日の始まりだぜ」という眠そうな声、そして冷えた空気。俺――ジョニー・テイラー上等兵は、ベッドの上で伸びをしながら思った。
「今日こそは、きっといい日になる……はずだ」
口にした瞬間、自分で苦笑した。毎朝そう言いながら、毎日同じ訓練と点呼と警備で終わるのが現実だ。
ただ、それでも少しだけ期待したくなる理由があった。
基地の正門を抜けた先の街――青い瓦屋根と石畳の路地が美しいその場所で、俺は偶然出会ってしまったのだ。金髪を三つ編みにまとめ、青いワンピースをふわりと揺らすドイツ娘。名前はリリー。笑うと小さなえくぼができる。
その笑顔が、俺の兵隊生活の“希望”になっていた。
「おいジョニー、今日の任務は昼までだ。午後は自由時間らしいぞ」
同じ部隊のマイクが肩を叩いてくる。自由時間。それはこの基地では宝のように貴重な言葉だ。
「本当か? じゃあ俺は街へ行く」
「またリリーに会いに行くんだろ? 惚れた弱みってやつだな!」
マイクが笑う。俺は照れ隠しにヘルメットを深く被った。
午前の訓練が終わると、俺は急いで制服を整え、正門へ向かった。監視兵に敬礼しながら足早に街へ出る。石畳を踏むたび、心臓が跳ねた。
彼女がいるだろう店――パン屋の木の扉を押す。
チリン、とベルが鳴り、甘いバターの香りがふわっと広がった。
「ジョニー!」
カウンターの向こうで、リリーが目を丸くして笑った。
その声を聞いただけで、今日ここへ来るまでの重たい気分がすべて吹き飛んだ。
「今日は自由時間なの。よかったら外を歩かない?」
彼女の提案に、俺は思わず背筋を伸ばした。
「もちろんさ、君がよければ」
店を出て、小さな川沿いの道を並んで歩く。風に揺れる彼女のワンピースが、まるで青い空のように軽やかだ。
「兵隊さんの生活って大変?」
「まぁ、毎日似たようなものさ。自由は少ないし、任務は厳しいし……でも、君に会えると思うと頑張れる」
言った瞬間、彼女は頬を赤くした。
「そんなこと言う人、初めて」
その可愛らしい仕草に、俺の胸の奥が熱くなる。
だが、幸せな時間は長くは続かなかった。
基地から鳴り響くサイレンの音――兵士にとって、自由時間の終わりを告げる無情な合図だ。
「行かなきゃ……」
俺が言うと、リリーは少し寂しそうにうなずいた。
「うん。また来てね。私はいつでも、ここにいるから」
彼女の言葉が、胸に静かに染み込む。
基地へ戻る途中、夕暮れの空がオレンジ色に染まっていた。石畳に長い影が伸びる。軍務は厳しく、兵舎の生活は退屈だ。それでも――
「まだやれるさ」
ポケットの中で、リリーがくれた小さなパンの包み紙を握りしめる。そこには、かわいらしい文字で“また会おうね、ジョニー”と書かれていた。
兵舎に戻ると、マイクがニヤつきながら言った。
「おい、顔がニヤけてるぞ。恋ってやつは軍隊の規律より強いみたいだな」
「うるさい。だが……まぁ、否定はしないよ」
夜、ベッドに横たわりながら、俺は天井を見つめる。
サーチライトの光が窓から差し込み、ぼんやりと揺れた。
毎日は同じようでも、彼女の笑顔を思い出すだけで世界は少し変わる。
兵隊の俺にも、青い街の片隅に、大切な場所がある。
そして明日の朝も、いつものラッパが響くだろう。
だがその音を聞いたとき、俺はきっとこう思う。
――今日こそは、彼女に会えるかもしれない。
そんな希望を胸に、俺は目を閉じた。
遠くで、街の鐘が静かに鳴っていた。
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