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──あの夜のことを、今でも時折、思い出す。
カリフォルニアの荒野をひとり車で走っていた。
ラジオは砂嵐のようにノイズを吐き、外は漆黒の闇だった。
目は重く、意識はゆっくりと沈んでいった。
ふと、遠くに明かりが見えた。
そこには、Hotel California と書かれたネオンサインが、ぼんやりと浮かび上がっていた。
──「助かった…」
そんな思いで車を止め、扉を開けた。
中は、不思議なほど暖かく、甘い香りが漂っていた。
ベルを鳴らす前に、女性が静かに現れた。
長い黒髪、瞳はどこか虚ろで…だが美しかった。
「ようこそ、ホテル・カリフォルニアへ。チェックインはお済みで?」
声はやさしいのに、背筋に冷たい風が通る感覚がした。
通された部屋は豪華で、まるで映画のセットのようだった。
天蓋付きのベッド、葡萄酒の瓶、窓からは月がこちらを覗いていた。
ロビーへ戻ると、人々がワインを手に歌い踊っていた。
その顔の誰ひとり、表情が変わらないのが気になった。
そしてバーテンダーに尋ねた。
「このワイン…何の味だろう?」
彼は微笑んで言った。
「それはもう、1969年からずっと同じものさ。忘れられない味だろ?」
深夜、目が覚めた。
廊下からすすり泣く声が聞こえる。
覗いてみると、誰かが言っていた。
「ここから出ようとしても、無駄なの…」
「チェックアウトはできる。でも……ここを出ることは、もうできないのよ」
私は荷物を掴み、フロントへと走った。
だが、誰もいない。
玄関の扉には、錆びた鍵がかかっていた。
そのとき、あの女性が背後からささやいた。
「ご安心ください。あなたの部屋は、いつまでも空けておきますわ」
今も私は、夜が来るたび思うのだ。
「あれは夢だったのか? それとも…」
月明かりの中で浮かぶ、あのホテルのネオン。
煌めきながら、誰か新しい客を待っている。
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