エルヴィス・プレスリーのカバー・バージョン「ポーク・サラダ・アニー」(Polk Salad Annie)は、トニー・ジョー・ホワイトが1968年に発表した楽曲。 「南部の貧しい女の生活」アメリカ南部の文化・貧困・力強さ https://youtu.be/OaAHHJ-6TDE 物語:ポーク・サラダ・アニー アメリカ南部の、じっとりとした湿気がまとわりつく夏の日。 ぬかるんだ小道の先に、アニーの家があった。家といっても、木の板を打ち付けただけの小屋のようなものだ。屋根は傾き、雨が降れば水が染みこみ、床板の下ではネズミが走り回っていた。 アニーの母は一日中ベッドに寝転び、煙草を吸いながら窓の外をぼんやりと眺めていた。父は近所で「働かない男」と有名で、朝から酒瓶を手放さない。兄弟たちはといえば、町に出ては物を盗み、警察に捕まっては留置所に送られる。 そんな家族の中で、まともに動いていたのはアニーただひとりだった。 彼女はまだ若かったが、痩せた体に刻まれた筋肉は固く、日焼けした肌は南部の太陽の下で鍛えられた証だった。 「今日も食べ物を探さなきゃ」 そう呟くと、アニーは籠を手に野原へと出かける。 そこに群生しているのは、「ポーク草(ポークウィード)」と呼ばれる野草だ。生で食べれば毒があるが、何度も茹でこぼせば食用になる。南部の貧しい家々では、それを「ポーク・サラダ」と呼んで常備菜にしていた。 アニーは素早い手つきで葉を摘み取り、籠に入れていく。指先には茎の汁が染み込み、緑色のしみがつく。だが彼女は気にしない。生きるためには、選んでいられないのだ。 川辺を歩けば、アリゲーターの姿が見える。大きな体で水面を滑るように進むそれを見つけても、アニーは怯まなかった。 「邪魔するなら、仕留めてやる」 彼女の目は鋭く光る。村の誰もが「アニーはワニすら素手で倒す」と噂していた。それは誇張かもしれないが、彼女のたくましさを示す言葉として広まっていた。 夕暮れが迫る頃、アニーは籠いっぱいのポーク草を抱えて家へ戻る。母は相変わらず横たわり、父は酔いつぶれている。家の中は荒れていたが、アニーはため息ひとつつかず、黙々と鍋に水を張り、草を茹で始めた。 何度も茹でこぼすたびに、苦い匂いが立ちのぼる。 「これで少しは毒が抜けたはず」 そう確認して、アニーは皿に盛りつける。味は決して豊かでは...